音楽誌等に色々書いてる石川貴教のブログ。

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Yardie




UKで八月公開予定の映画「Yardie」
1993年発行のジャマイカ系イギリス人、ヴィクター・ヘッドリーの小説を映画化。
(日本語訳も発売されています)

監督はパシフィック・リムの司令官役や
マイティー・ソウ、アヴェンジャーズのヘイムダル役で
おなじみのイドリス・エルバ。
彼の監督デヴュー作です。

日本公開は今のところ未定ですが、早く観たいですね。
サウンド・トラックもアイランド・レコーズ音源を使うようなので楽しみ。
ですが、予告編を見る限り小説で描かれている当時(1990年代)の
ダンスホールが流れるシーンはあまり多くないかもしれません。
アイランドは当時のジャマイカ・ダンスホールのライセンス契約少ないし。








【 2018/06/10 12:13 】

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Mamma Me Wan Fe Work



ピーター・トッシュ&ザ・ウエイラーズ 「Fire Fire」
(後の再録ヴァージョンやバニー・ウエイラーのソロ・ヴァージョンも高名ですね)
の元ネタはジャマイカン・フォーク・ソングです。






【 2018/03/20 14:45 】

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How



Medz Music プレゼンツ 
最新ダンスホール・ヒット・ミックス!!!

「Str8 Brand New Dance Hall Mix Vol.2」



タフでリアルなジャマイカの音がたっぷりとバランスよく収録されています。
内容も最高!







【 2018/01/22 16:52 】

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CB 30th Mix





cb_30th_2_convert_20171204120638.jpg

チエコ・ビューティー、活動30周年記念のベスト・ミックス。
新旧19曲収録。詳しくは解説参照。


ワン・アーティストの様々なタイプ、年代の曲をミックスするのは中々
難しいのですが、流石の仕上がりバイ・キング・スコーチャー。
クール・ミックス!!
中盤からの流れるような展開は出色。初出のギター・インスト・ヴァージョンも。
このCDに入っていない曲にも良い曲は沢山ありますが
それはご自分でディグしてみよう。

ジャケットの絵は岡崎京子さん。
「69番、願います!」の馬場カヨ役も絶好調、小泉今日子さんの推薦コメントも
オビ&中ジャケに入ってます!

限定盤、発売は12月7日から。予約開始してますよー。

cb_30th_mix_convert_20171204120756.jpg


発売日には、Journal Standard 表参道でイン・ストア・ライヴ





【 2017/12/04 12:25 】

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Far East



ドン・ドラモンドの名作「Further East」
ソウル・ジャズ・レコーズからシングルが再発されています。




この曲の元ネタは1944年のヒット・ミュージカル映画 ”若草のころ”で
ジュデイ・ガーランドが歌っていた「Trolley Song」。
コクソンがドンに「Trolley Song」をカヴァーしてくれとリクエストして
できあがったのがこの「Further East」。

ミュージカル・ナンバーやスタンダードを換骨奪胎してフレッシュかつアーティスティックに
改編するのはモダン・ジャズのミュージシャンのお家芸ですが、
このジャマイカン・ヴァージョンも中々どうして大したものです。
BPMも、コードも原曲とは全く違い、一聴では「Trolley Song」とは判断しがたい
斬新で大胆な構造、作曲と演奏。



スキャタライツの主要メンバーの多くは、アルファ・スクールで
クラシック、マーチ、カリプソの演奏、楽理を厳しい指導の下で学んだ面々。
先生はジャズに関しては肯定的でなかったようですが、生徒はみなジャズが好きで
後年、ジャズ・バンドひいてはスカのバンドに参加、生計を立てて行ったアーティストが
数多いのはご承知の通り。
軍隊の軍楽隊、マーチング・バンドを経由して業界に入ったジョニー・ムーア、
レスター・スターリングのような人もいます。
そんな中で、ジャズのビッグ・バンド”エリック・ディーンズ・オーケストラ”に
16才でスカウトされ参加した早熟の天才トロンボーン奏者がドン・ドラモンド。
アルファ卒業生、スキャタライツ一派のホーン奏者の中でいち早く
(もしかすると当時、唯一)ジャズの進化系、モーダルな演奏に反応した
アーティスト、ともいえるでしょう。







【 2017/10/26 10:09 】

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What About Me






先回の続き
マーナ・ヘイグさんはイングランドで歌手としての活動を本格化させ、
イングランド、イタリー、オーストリア、ベイルートなどの国をツアーで回ることに。
高級ラウンジ、ナイト・クラブへ出演する旅回りも多く
そのため、スーツ・ケースのパッキングが物凄く手早く出来るようになったそうです。

そんな多忙な生活に疲れを感じた彼女は毎冬(ジャマイカの観光繁忙期。
少し涼しくなりますからね)6週間くらいの期間、ジャマイカに帰郷するようになり、
その合間にコートレイ・ホテルでソニー・ブラッドショウと共演。
後の亭主とのファースト・コンタクトを果たします。

そういった(彼女が休暇の合間に披露した)パフォーマンスの噂を聞いたコクソン・ドッド。
コクソンは、オーチョ・リオスの両親のところにいた彼女にレコーディングのオファーをします。
快諾した彼女は、キングストンのスタジオ・ワンに来て録音を開始。1972年ころのお話です。
こうして、アルバム「Melody Life」が出来上がったわけです。
彼女がジャマイカ人ミュージシャンと仕事をしたのは、これが初めて。
レゲエを歌ったのもこれが初めて、という初物尽くしのレコーディングとなりました。
(このアルバム「Melody Life」アナログLPは2000年以降にプレスされたものは
曲数が少なく、盤質が悪いため、1991年ころにプレスされたものがおススメです。
オリジナルは希少なうえ、バカ高いです)




その後、彼女はジャマイカでの音楽活動を継続せず、イングランドに戻ります。
が、1973,4年ごろのイングランドのサパー・クラブ、ナイト・クラブ界隈の音楽シーンは
大きく変化していて音楽活動を続行すべきか悩むことに。
その当時、ディスコ、ポップスの波が彼女の主戦場にまで押し寄せてきていて
ジャズやスタンダードを歌いたい彼女は毎冬のジャマイカ滞在の期間が
ますます長くなっていきました。
そして、1975年にジャマイカに戻ることを決意。ロンドンを去ります。

1976年には、ジャマイカで行われた「サウンド・カリビアン・フェスティヴァル・オブ・アーツ」
にジミー・クリフらと出演。そこでのパフォーマンスが
「ソウルとシャーリー・バッシーの間を行くスタイル」(言い得て妙ですね)
と評価され、またこの時にカリビアン・ソングの古典にも初挑戦。
「ジャズやスタンダードなどのショウ・ミュージックしか、私は歌ったことがなかったので
JBC(ジャマイカのラジオ局)のライブラリーに
行ってカリビアン・フォーク・ミュージックを勉強した」そうです。
そして、彼女はハイチの「Chou Counie」(ジャマイカでは「Yellow Bird」というタイトルで
激ポピュラーな歌のオリジナル)とイングランドでもポピュラーだった元はスパニッシュ・ソング
の「Feelings」をチョイス。ヒルトン・ホテルのバンド・リーダーだったラルフ・ホールディングの
オリジナル・ソング2曲を加え、ソニー・ブラッドショウ監督のビッグ・バンドで披露。

それからは、JBCラジオとテレヴィ番組のレギュラー出演を経て、自分の番組も持ち、
ジャマイカ・ミュージック・フェデレーションの秘書に。
1995年にブラッド・ショウさんと結婚。二人は二人三脚で1991年から開催された
非レゲエの「オーチョ・リオス・インターナショナル・ジャズ・フェスティヴァル」を運営。
2009年、ブラッドショウさん他界後は彼女がディレクターとなりました。
2003年にはチナ・スミスらとレコーディング。2014年には「Melody Life」をリ・レコーディング。
今も健在で、心は変わらず「ジャズ・シンガー」。
いわく、
「天才的でなくたっていい。でも、出来うる限りの、最高峰レヴェルの
クオリティ・ミュージックが私は好きだ」






【 2017/10/02 13:38 】

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Time After Time



スタジオ・ワン製作のアルバム「Melody Life」がジャマイカ音楽ファン以外にも
永年愛好されているシンガー、マーナ・へイグ(Myrna Hague)

彼女はレゲエ業界出身ではないですが、ジャマイカの音楽業界の名士
といってよい人物で今も存命中です。
トランぺッターとしても有名な、1940年代からビッグ・バンドのリーダーとして
ジャマイカ音楽界の為に多大な尽力をした故ソニー・ブラッドショウさんの奥さん。
(1995年に結婚)
1977年から6年間はジャマイカ・フェデレイション・オブ・ミュージシャン
の秘書を務めていました。
私はジャマイカで仕事をするためのワーキング・パーミットを取得するために
この連盟にレターを書いてもらった思い出があります。
UCC・コーヒー(ブルー・マウンテンに農場経営)、三井物産、トヨタ、トーメン等には、
ミニストリー・オブ・ジャスティスはサラッとパーミット出す癖に
私はどこの馬の骨かわからない日本人だったせいか、
パーミットが申請から4か月以上の時間を経ても
中々認められず苦肉の策でマイアミへ出て日帰りとかしてしてたんですよね。
でも、ここのレターを出したら速攻、労働許可証が出て驚きました。
私の後にジャマイカでレコード買い付け始めた人はみんなこの手を使ったでしょう。
ある意味、オレはこの手法で許可証ゲットしたパイオニアだな(笑)
ただ、申請後、遅々として進まなかったのは私だけではなかったようで。
大企業の社員以外はみんな苦戦。
他の業界で働いていた英語ペラペラの私の先輩はあんまり遅いので文句言いに行ったら
「あ、パーミット出てたよ。でも受取の期限過ぎているのでもう一回申請して」と言われ
許可出てたのに連絡してこない、しないそっちが悪いだろ(もっともです)
といって激怒したが、すったもんだの末に結局もう一回申請するほかなく・・・
ジャマイカならでは、と言って今では笑い話ですけどね。
ジャメイカ・ノー・プロブレム笑





彼女はシンガーとしての経歴も独特。
バフ・ベイ生まれで父は教師一家、母はドレス・メイカーとしてブティックを経営。
その店があったオーチョ・リオスのメジャー・ホテルのほとんどは母親のデザインした
ユニフォームを採用していたそうです。
その後、その母親と1956年(彼女は当時10歳)にイングランドに移り住み、
ノース・ロンドン・カレッジに入学。
イングランドでは、当時唯一黒人モデルが在籍していたエージェンシーに入り、モデルも経験。
並行して歌手としての活動もスタートさせたんですね。

インタヴューで、ティーンネイジャー時代を振り返り
「イングランドのブルー・ビート・ダンスには友達と行っていた。
とても楽しかったが、私はリズム・アンド・ブルースの歌手になろうとは思わなかった。
そのころから、ジャズ・シンガーになろうと心に決めていた」
「サラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、エラ、サミー・デイヴィス・ジュニアがイングランドに
公演に来た際にはポケット・マネーで一番安い席をかって聴きに行った。
母とナット・キング・コールを聴きにに行ったこともある。
同級生の友達はブルー・ビート・ダンスの方が好きだったので、
その手のライヴには全然興味なかったから」と言っています。

なにしろ、当時のこの人のアーティスティック・アイドルで、ファッション・アイドルは
レナ・ホーン!!
インナー・シティ出身のジャマイカ人には滅多にいないタイプですよね。
(前述のように、彼女はイナー・シティ出身ではありませんが)

そんなイングランドで暮らしていた彼女がスタジオ・ワンでレコーディングした話、
その後の話は次回にアップする予定です。







【 2017/09/20 17:02 】

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Stop That Train



リン・テイトのトレイン・ウィッスルを模したギター・ループがたまらない
キース&テックスの名曲「Stop That Train」

その元ネタというか、オリジナルのスカ・テイクが
3年ほど前にドラム&ベイス・レコードから再発されています。

このシングルは、1965年にイングランドの"Blue Beat"レーベルから発売されただけで
おそらくジャマイカ盤はリリースされていない。

アーティストのクレジットは、”スパニッシュ・タウン・スカビーツ”
(トロージャンのコンピではスパニッシュト二アンズ)
になっていますが、実際はウインストン・ジョーンズ&トネッツのようです。



スパニッシュ・タウン出身のシンシアとマーリーン・ウエバー姉妹のトネッツ(トネッターズ、
後のウエバー・シスターズ)はスタジオ・ワンで1962,3年ころから録音を開始していますが、
その後に近所のウインストン・ジョーンズが合流、三人組に。
そして、1964年にプリンス・バスターのとこで録音したのが、この「Stop That Train」。
発売は1965年、UK "Blue Beat"からですが、前述のように
クレジットはウインストン&トネッツにはなっていません。

(ちなみに、「Rudie Gets Plenty」を歌ったスパニッシュト二アンズのメンバーは
ケンロイ・フィフェ、イズ・レコ、ボイシィー・グラント。当時イングランドで
”ランチャーズ”という名前でも活動していた三人。ロイ・オービソン、ジャマイカ出身の
サックス奏者、ジョニー・ホープと全英ツアーも行ったグループです。
ミリー・スモールがバカあたりする前から"Blue Beat"でシングルを出していました。
一方、ウインストンとトネッツは1978年に姉妹がカナダに行くまでは在ジャマイカです)

ウインストン・ジョーンズ氏の談(大意)では
「あの曲は、バスターの為に私が書いて、トネッターズと共にレコーディングした。
スパニッシュト二アンズとは同じスタジオだったが一緒にレコーディングなどしていない。
それなのに、バスターは、クレジットをウインストン&トネッターズではなく
なぜかスパニッシュト二アンズにしたんだ。
("Blue Beat"盤のクレジットはスパニッシュ・タウン・スカビーツですが、
まあウインストンさんの話が本当ならミス・クレジットには違いない。
前述のスパニッシュト二アンズのメンバーも「Stop That Train」はレコーディングしてない
と話しています)レコード売る段になったらジャマイカのプロデューサーがよくやることだ。
私たちはイングランドやアメリカに行くことがなかったから、実際海外で自分の歌が
違う名前のクレジットで売られて金作ってるなんて知るよしもなかったさ。
海外に行ってレコード見て、聞いて初めてどんなことになってたのか知るんだよ。
とにかく、あの曲は私が書いたものだが、クレジットは私じゃなかった。
私が「Stop That Train」でいくら稼いだか話したら、君は泣きたくなるぜ。
ナッシング。ゼロだ」







【 2017/09/06 22:46 】

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