音楽誌等に色々書いてる石川貴教のブログ。

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What About Me






先回の続き
マーナ・ヘェグゥさんはイングランドで歌手としての活動を本格化させ、
イングランド、イタリー、オーストリア、ベイルートなどの国をツアーで回ることに。
高級ラウンジ、ナイト・クラブへ出演する旅回りも多く
そのため、スーツ・ケースのパッキングが物凄く手早く出来るようになったそうです。

そんな多忙な生活に疲れを感じた彼女は毎冬(ジャマイカの観光繁忙期。
少し涼しくなりますからね)6週間くらいの期間、ジャマイカに帰郷するようになり、
その合間にコートレイ・ホテルでソニー・ブラッドショウと共演。
後の亭主とのファースト・コンタクトを果たします。

そういった(彼女が休暇の合間に披露した)パフォーマンスの噂を聞いたコクソン・ドッド。
コクソンは、オーチョ・リオスの両親のところにいた彼女にレコーディングのオファーをします。
快諾した彼女は、キングストンのスタジオ・ワンに来て録音を開始。1972年ころのお話です。
こうして、アルバム「Melody Life」が出来上がったわけです。
彼女がジャマイカ人ミュージシャンと仕事をしたのは、これが初めて。
レゲエを歌ったのもこれが初めて、という初物尽くしのレコーディングとなりました。
(このアルバム「Melody Life」アナログLPは2000年以降にプレスされたものは
曲数が少なく、盤質が悪いため、1991年ころにプレスされたものがおススメです。
オリジナルは希少なうえ、バカ高いです)




その後、彼女はジャマイカでの音楽活動を継続せず、イングランドに戻ります。
が、1973,4年ごろのイングランドのサパー・クラブ、ナイト・クラブ界隈の音楽シーンは
大きく変化していて音楽活動を続行すべきか悩むことに。
その当時、ディスコ、ポップスの波が彼女の主戦場にまで押し寄せてきていて
ジャズやスタンダードを歌いたい彼女は毎冬のジャマイカ滞在の期間が
ますます長くなっていきました。
そして、1975年にジャマイカに戻ることを決意。ロンドンを去ります。

1976年には、ジャマイカで行われた「サウンド・カリビアン・フェスティヴァル・オブ・アーツ」
にジミー・クリフらと出演。そこでのパフォーマンスが
「ソウルとシャーリー・バッシーの間を行くスタイル」(言い得て妙ですね)
と評価され、またこの時にカリビアン・ソングの古典にも初挑戦。
「ジャズやスタンダードなどのショウ・ミュージックしか、私は歌ったことがなかったので
JBC(ジャマイカのラジオ局)のライブラリーに
行ってカリビアン・フォーク・ミュージックを勉強した」そうです。
そして、彼女はハイチの「Chou Counie」(ジャマイカでは「Yellow Bird」というタイトルで
激ポピュラーな歌のオリジナル)とイングランドでもポピュラーだった元はスパニッシュ・ソング
の「Feelings」をチョイス。ヒルトン・ホテルのバンド・リーダーだったラルフ・ホールディングの
オリジナル・ソング2曲を加え、ソニー・ブラッドショウ監督のビッグ・バンドで披露。

それからは、JBCラジオとテレヴィ番組のレギュラー出演を経て、自分の番組も持ち、
ジャマイカ・ミュージック・フェデレーションの秘書に。
1995年にブラッド・ショウさんと結婚。二人は二人三脚で1991年から開催された
非レゲエの「オーチョ・リオス・インターナショナル・ジャズ・フェスティヴァル」を運営。
2009年、ブラッドショウさん他界後は彼女がディレクターとなりました。
2003年にはチナ・スミスらとレコーディング。2014年には「Melody Life」をリ・レコーディング。
今も健在で、心は変わらず「ジャズ・シンガー」。
いわく、
「天才的でなくたっていい。でも、出来うる限りの、最高峰レヴェルの
クオリティ・ミュージックが私は好きだ」






【 2017/10/02 13:38 】

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Time After Time



スタジオ・ワン製作のアルバム「Melody Life」がジャマイカ音楽ファン以外にも
永年愛好されているシンガー、マーナ・へェグゥ(Myrna Hague)

彼女はレゲエ業界出身ではないですが、ジャマイカの音楽業界の名士
といってよい人物で今も存命中です。
トランぺッターとしても有名な、1940年代からビッグ・バンドのリーダーとして
ジャマイカ音楽界の為に多大な尽力をした故ソニー・ブラッドショウさんの奥さん。
(1995年に結婚)
1977年から6年間はジャマイカ・フェデレイション・オブ・ミュージシャン
の秘書を務めていました。
私はジャマイカで仕事をするためのワーキング・パーミットを取得するために
この連盟にレターを書いてもらった思い出があります。
UCC・コーヒー(ブルー・マウンテンに農場経営)、三井物産、トヨタ、トーメン等には、
ミニストリー・オブ・ジャスティスはサラッとパーミット出す癖に
私はどこの馬の骨かわからない日本人だったせいか、
パーミットが申請から4か月以上の時間を経ても
中々認められず苦肉の策でマイアミへ出て日帰りとかしてしてたんですよね。
でも、ここのレターを出したら速攻、労働許可証が出て驚きました。
私の後にジャマイカでレコード買い付け始めた人はみんなこの手を使ったでしょう。
ある意味、オレはこの手法で許可証ゲットしたパイオニアだな(笑)
ただ、申請後、遅々として進まなかったのは私だけではなかったようで。
大企業の社員以外はみんな苦戦。
他の業界で働いていた英語ペラペラの私の先輩はあんまり遅いので文句言いに行ったら
「あ、パーミット出てたよ。でも受取の期限過ぎているのでもう一回申請して」と言われ
許可出てたのに連絡してこない、しないそっちが悪いだろ(もっともです)
といって激怒したが、すったもんだの末に結局もう一回申請するほかなく・・・
ジャマイカならでは、と言って今では笑い話ですけどね。
ジャメイカ・ノー・プロブレム笑





彼女はシンガーとしての経歴も独特。
バフ・ベイ生まれで父は教師一家、母はドレス・メイカーとしてブティックを経営。
その店があったオーチョ・リオスのメジャー・ホテルのほとんどは母親のデザインした
ユニフォームを採用していたそうです。
その後、その母親と1956年(彼女は当時10歳)にイングランドに移り住み、
ノース・ロンドン・カレッジに入学。
イングランドでは、当時唯一黒人モデルが在籍していたエージェンシーに入り、モデルも経験。
並行して歌手としての活動もスタートさせたんですね。

インタヴューで、ティーンネイジャー時代を振り返り
「イングランドのブルー・ビート・ダンスには友達と行っていた。
とても楽しかったが、私はリズム・アンド・ブルースの歌手になろうとは思わなかった。
そのころから、ジャズ・シンガーになろうと心に決めていた」
「サラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、エラ、サミー・デイヴィス・ジュニアがイングランドに
公演に来た際にはポケット・マネーで一番安い席をかって聴きに行った。
母とナット・キング・コールを聴きにに行ったこともある。
同級生の友達はブルー・ビート・ダンスの方が好きだったので、
その手のライヴには全然興味なかったから」と言っています。

なにしろ、当時のこの人のアーティスティック・アイドルで、ファッション・アイドルは
レナ・ホーン!!
インナー・シティ出身のジャマイカ人には滅多にいないタイプですよね。
(前述のように、彼女はイナー・シティ出身ではありませんが)

そんなイングランドで暮らしていた彼女がスタジオ・ワンでレコーディングした話、
その後の話は次回にアップする予定です。







【 2017/09/20 17:02 】

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Stop That Train



リン・テイトのトレイン・ウィッスルを模したギター・ループがたまらない
キース&テックスの名曲「Stop That Train」

その元ネタというか、オリジナルのスカ・テイクが
3年ほど前にドラム&ベイス・レコードから再発されています。

このシングルは、1965年にイングランドの"Blue Beat"レーベルから発売されただけで
おそらくジャマイカ盤はリリースされていない。

アーティストのクレジットは、”スパニッシュ・タウン・スカビーツ”
(トロージャンのコンピではスパニッシュト二アンズ)
になっていますが、実際はウインストン・ジョーンズ&トネッツのようです。



スパニッシュ・タウン出身のシンシアとマーリーン・ウエバー姉妹のトネッツ(トネッターズ、
後のウエバー・シスターズ)はスタジオ・ワンで1962,3年ころから録音を開始していますが、
その後に近所のウインストン・ジョーンズが合流、三人組に。
そして、1964年にプリンス・バスターのとこで録音したのが、この「Stop That Train」。
発売は1965年、UK "Blue Beat"からですが、前述のように
クレジットはウインストン&トネッツにはなっていません。

(ちなみに、「Rudie Gets Plenty」を歌ったスパニッシュト二アンズのメンバーは
ケンロイ・フィフェ、イズ・レコ、ボイシィー・グラント。当時イングランドで
”ランチャーズ”という名前でも活動していた三人。ロイ・オービソン、ジャマイカ出身の
サックス奏者、ジョニー・ホープと全英ツアーも行ったグループです。
ミリー・スモールがバカあたりする前から"Blue Beat"でシングルを出していました。
一方、ウインストンとトネッツは1978年に姉妹がカナダに行くまでは在ジャマイカです)

ウインストン・ジョーンズ氏の談(大意)では
「あの曲は、バスターの為に私が書いて、トネッターズと共にレコーディングした。
スパニッシュト二アンズとは同じスタジオだったが一緒にレコーディングなどしていない。
それなのに、バスターは、クレジットをウインストン&トネッターズではなく
なぜかスパニッシュト二アンズにしたんだ。
("Blue Beat"盤のクレジットはスパニッシュ・タウン・スカビーツですが、
まあウインストンさんの話が本当ならミス・クレジットには違いない。
前述のスパニッシュト二アンズのメンバーも「Stop That Train」はレコーディングしてない
と話しています)レコード売る段になったらジャマイカのプロデューサーがよくやることだ。
私たちはイングランドやアメリカに行くことがなかったから、実際海外で自分の歌が
違う名前のクレジットで売られて金作ってるなんて知るよしもなかったさ。
海外に行ってレコード見て、聞いて初めてどんなことになってたのか知るんだよ。
とにかく、あの曲は私が書いたものだが、クレジットは私じゃなかった。
私が「Stop That Train」でいくら稼いだか話したら、君は泣きたくなるぜ。
ナッシング。ゼロだ」







【 2017/09/06 22:46 】

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Bennison Joy Hop


1950年代からキャリアをスタートさせたジャマイカの鍵盤奏者で
数多のバンドも率いたセシル・ロイド。


彼が十代のころは観光客向けホテル・バンド活動がメインだったようですが、
そのホテルの経営に関わっていたアメリカ人に見初められて
1958年にはアメリカ録音のアルバムを "20th Fox "からリリース。
そのレコーディングではアメリカのベイシスト、ロイド・トラットマン
(スキャタライツがカヴァーした1959年のサウンド・システム・クラシック「Trottin' In」の作者)
らと共演。

セシル氏は、牧師の息子だったので、幼少期から教会のオルガンを弾きまくっていたそう。
また、過去のグリーナー紙やジャマイカ音楽の書籍には
NYのクラシック音楽の名門、ジュリアード卒という記述がありますが、
前述のアルバム解説文には、お母さんがジュリアード音楽院で勉強していた人だとあり
どっちが本当か、またはどっちも本当かはわかりません。
少なくとも母親がジュリアードに通っていたのは確かでしょう。
音楽的には恵まれた環境で育ったことがうかがえます。
(ちなみに当時のジュリアードにジャズ科はありません)

その後も、自らのトリオなどでジャズ・アルバムを録音。
それら1960年代のジャマイカ盤ジャズ・アルバムはレアーなこともあいまって
マニアには大変人気があります。
が、この人は良い意味でなんでもござれ(でないと、ホテルのバンドは務まらない)。
ジャマイカ音楽マニアがいだきがちな「ジャマイカ・ジャズの偉人」という
パブリック・イメージが全くの間違いとは言いませんけれども、
そのキャリアを俯瞰するとイージー・リスニング調から、エレガントなクバ、ラテン・ラウンジ、
はたまた、リズム&ブルースのインストゥルメンタルまでと演奏の範囲はとても幅広い。

勿論、1960年代前半にかけては、コクソンらとジャズ系以外の仕事もしており、
特にプレ・スカ期のジャマイカン・シャッフル時代には、ピアノ演奏だけでなく
サウンド・システム向けにビル・ドゲット風のファンキーなオルガン・プレイも披露。
カッコイーです。

そんな中から、1曲。
プリンス・バスターのサウンド、ヴォイス・オブ・ザ・ピープル・クラシック!
バスター自身のプロデュースで "Wirl "レーベルからリリースされた
セシル・ロイド&バスターズ・オールスターズ 「Bennison Joy Hop」








【 2017/08/01 14:19 】

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Majesty



クロニクス、初のフル・アルバム「Chronology」。

全編良いですが、特に5曲目から12曲目の出来が出色。
キングストンのダンスで爆発するような曲よりも、
世界市場に目を向けたと思しきタイプの楽曲が多いです。
良くも悪くも。

オールド・スクーラーにおススメは昨年発表された「Majestie」か?
スタジオ・ワン製作、オーティス・ゲイルがスピナーズをカヴァーした「I'll Be Around」、
ジョニー・オズボーン「We Need Love」、F・P 「Caroline」と同じトラックを使用。








【 2017/07/18 16:00 】

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Ice Water


「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの新作公開なんですね。
個人的には三作目で終了してれば、綺麗だったと思うのですが・・・
しかも、第4作以降、かなり間が空いたのでこのまま終了、と思いきや
ドル箱シリーズだけにやめるにやめられず、「もう一本だけ、これで最後」と
いった感じなんでしょうか。(でも、観に行きますよ)

ともあれ、ジャック・スパロウ復活ってことで1曲。
こちら、ジャマイカのジャック・スパロウ。
後にエチオピアンズを結成したレナード・ディロン、スキャ時代のソロ。
バック・コーラスはウェイラーズです。










【 2017/07/02 14:56 】

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Love It



アルカライン「12 PM」 でボスした在キングストン日本人、
マリエ、ガチャのプロダクション "Medz Music " が
ヴァイブズ・カーテルのX-Rated、超クールなサウンドの 「Love It」をリリース!

三月末から配信開始されていて、各方面絶賛です。
いいですよ!!






【 2017/04/09 15:17 】

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Rock Steady


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「 Listening To Rock Steady 」

珠玉のロック・ステディ・セレクション。

販売元のサイトでは、3月8日の発売日に全セットが即完売。

他の販売店に店頭在庫があれば、入手可能だと思われます。
探してみてください。





【 2017/04/02 19:34 】

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