音楽誌等に色々書いてる石川貴教のブログ。

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Reggae Heritage 3

前回の続き

「Reggae Heritage」の中には、数多くのトリビアルな記述があり、
そのいくつかを紹介してみます。

「サウンドマンたちが自ら出稼ぎ等でアメリカにわたり
その手でレコードを持ち帰ることを始めるよりも前の時期、
1940年代後半以降のサウンド・システム勃興期にキングストンには
レコード店はあるにはあったが、インナー・シティのダンスに集う人たちの好み
に適うブルース、リズム&ブルース等を品揃えていたショップはなかった。
なので、サウンドシステムのオペレーターたちはアメリカからレコードを
個人的に輸入しているインポーターから購入していた。
その初期のインポーターのうちの一人にジャック・テイラーがいた」
(この人の名前は、他の本でも見た気がします。当時を知る年配の方には
忘れられない存在なんでしょうね。
この本の後半にあるバスターさんのインタヴュー中にも名前が出てきます。
ダウンタウンのサウンドマンでもあるジャック・テイラーは、
独自のコネクションを使ってアメリカから入手したレコードをトム・ウォンや
デューク・リード、コクソンにも売っていたと語っています)

と、ここまでは他の文献等でも書かれていることなんですが、
以下はこの本で初めて知りました。
「他のインポーターにはサウンド・システムのオペレーターでもあった
ブルー・ミラーがいた。ブルー・ミラーは女性のサウンド。
("One Of The Few Female Sound System Operators"とありますから
数は少ないながら、ほかにも女性がプレイするサウンドがあったのでしょうね)
彼女はWhore House 的なものも協業していたので
(ホテルの名前も「ブルー・ミラー」)他のインポーターよりも有利な状況にあった。
実際、彼女はレアなレコードをパトロン(その多くは船乗り)からゲットしていた。
彼らパトロン、船乗りはアメリカから持ち込んだレコードと引き換えに、
酒やその他のサービスを公には明らかにされない形で受け取っていた」
というようなことが書かれています。

事の是非は別として(別にしちゃダメですかね?ダメ?うーん・・・困ったな。)
レコードが貨幣の代わりになった逸話です。

ある時間のある場所において、このケースではキングストンのダウンタウンで
一枚の製造費が、たかだか何円だか、何十円だかの紙である紙幣よりも
音が出る、素晴らしい音楽が再生できるレコードのほうが価値があったという実話。

ともかく、当時、女性のサウンドがあったとは知りませんでした。
このブルー・ミラーは1950年代中頃まで活躍したみたいです。

その後、サウンドシステムにより大衆の音楽熱に完全に火がついてしまい
ジューク・ボックスの人気もうなぎ上り。1950年代始めから中頃まで
放課後ジューク・ボックスのある店に一目散に向かうことは
キングストンの高校生にはレギュラー・プラクティスだったそうです。
「ジャマイカはアメリカと違って、高校生が放課後に立ち寄ることが出来る
" ソーダ・ショップ "みたいな場所が存在しなかったからね」とあるように
彼ら高校生はジューク・ボックスを設置してある場所、すなわち多くのバーや
時には性的サービスを行う店(当時、競争が激しかったとあります)
に行って音楽を楽しんでいたんですね。

また、そのころにも優秀なダンサー達がいて、ニードルズ、アダムズ、
ポン・ポンらの1950年代中頃から後半に人気だった名前が挙げられています。
で、高校生も彼らのダンスと最新の音楽を大人に交じって楽しんでいたと。
そのころ既にこの本の著者のグッデンさんは高校生セレクターとして
" V-Rocket"の本拠地で行われたその手のイベントでプレイしていたんですね。
その後、トム・ザ・グレイト・セバスチャンに加わったわけです。

写真はプラギー・サッチモ&ベリル・マクガーのコンビ。

pluggy+satchmo++beryl+mcgar_convert_20150827153636.jpg

グッデンさんはトム・ザ・グレイト・セバスチャンに加入後の思い出も
語っていて、オーナーでメイン・セレクターのトーマス・ウォン氏に
「いいか、聴衆に合わせてプレイするのではなく、お前が聴衆をリードするんだ。
お前自身の、独自のプレイで聴衆を楽しませるんだ」言われたことを忘れないそうです。

グレイト・セバスチャンがダウンタウンのサウンド間の競争、というか抗争
(他のサウンドの電気コードを切ったり、スピーカーに実弾を打ち込んだり
ガラの悪い連中をライバル・サウンドに送り込んだり・・・
バスターさんがトロージャンの針を壊した話もありましたね)
とは距離を置いてクロス・ロードの「シルバー・スリッパ・クラブ」でプレイするように
なってからの選曲も解説しています。
書き始めると長くなるので詳しくは省きますが、この頃から同じキングストン市民間でも
インナー・シティのダンスで好まれる曲と可処分所得の割合が多い人たちの好みには
違いがあったことがうかがえる。

また、グレイト・セバスチャンは十五年以上の期間、三人のセレクターで
回してきたサウンドであり、「カウント・マチューキがグレイト・セバスチャンに在籍していた」
ということについては異を唱えています。
「マチューキはコクソンのダウン・ビートのメイン・セレクターだった。
グレイト・セバスチャンの初期のメイン・セレクターはオーナーのトーマス・ウォン。
アシスタント、第二セレクターはデューク・ヴィン。彼がイングランドに渡ってからは
短い期間DJ・ロンリー・ボーイがいた」、プラス、ウォンさんの息子、
そして1957年にグッデンさん加入です。
この”マチューキがグレイト・セバスチャンでキャリアをスタートさせた ”
というのは「元首相(シアガさんでしょうね)の初期ジャマイカ・サウンドシステム
について述べられた数多くの間違った発言の内の一つだ」と言い切っている。

加えて、当時のサウンドでのプレイ実態にも言及。
SP盤をプレイする際には高価でレアなレコードを末永く維持するために
多くても三曲か四曲プレイするごとに針を変えていた、とか
エキップメンツはイギリス製が多かった(当時イギリス領ですからね)
その後は出稼ぎに行ったアメリカからアメリカ製品を持ち帰ることも多くなったが
問題は1950年代後半にはハード面の変遷を得て、プレイする音源が78回転、45回転、33回転
の三つになったことだ。ダンスで受ける良いレコードを見つけることと同様に
この三つの種類のレコードをプレイ可能なスリー・スピードのターン・テーブルを入手
することが重要になった。
そして、ジェラルドが開発したスリー・スピード・ターン・テーブルが
当時のサウンドには福音になったとあります。

(追記)
業界の大先達から御指摘があったので上の部分、追記、訂正します。
ターンテーブルは正しくはギャラード、またはガラードといわれるメーカーのもので、
三種類の回転数に対応できるだけでなく、16と3分の2回転もプレイ可能な
実質4スピード・ターンテーブル。最初期型はモノラル再生のみでしたが
後年はステレオも再生できる機種が発売された、とのことです。
追記おわり。



その他にも、本文中には
ボブ・マーリーはガンの治療の為に使っていた抗がん剤の影響で
ラストになったツアー中には頭髪が抜け落ちていて
最後のステージではラスタのウィグをつけてパフォーマンスした、とか
スキャタライツ在籍時のトミー・マクックとアップタウンのケス・チン、
そのケス・チンが運営していたバンドとの交遊、互いの関係など
色々と興味深い記述はあるのですが
この日本語訳は出ていない、立派なハードカヴァーでもない
ペーパー・バック調の装丁の「Reggae Heritage」
編集も大胆というか、荒っぽいし、
まとまりがあるかと言われれば、全面的には肯定できませんけれど
その分、他の文献では語られていないことがたくさん入っています。
ラスタファリアンやサウンドシステム勃興以前のジャマイカのオーケストラ、バンド
のことも細かく書かれており、グッデンさんの世代ならではのリズム&ブルースに関する
濃ゆい記述もヴォリュームがあります。ラジオの歴史もアラン・フリードを絡めてタップリ
という異色と言ってもいい内容ながら、1950年代から現場でジャマイカ音楽の実情を見つめた
著者ならではの見識も満載された書籍です。

コンピュータライズド前後からのジャマイカ音楽は、ほぼ全否定
(ダンスホール・サウンドはミュージックではなくて只のサウンドだ、と。
なので、この本では1980年代以降のそのタイプのジャマイカ音楽は
ダンスホール・ミュージックという形容はせず、ダンスホール・サウンド
になっています)
1970年代にヴォーカル・パートを抜いた「ヴァージョン」が流行り、
それを使ってDJがライムをのせるようになった辺りからジャマイカ音楽の衰退は
始まったというグッデンさんの見解に関しても
私は全くうなずけませんが、まあそれはどうでもいい。
世代の違いもありますからね。

私でも辞書片手に読めましたので、興味ある方、
特に1940年代後半から1960年代前半くらいまでのジャマイカ音楽に関心のある貴兄には
一読をおススメします。





【 2015/08/27 15:16 】

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Soul Style

前回の続き。

ルー・グッデンさん著「Reggae Heritage」では他にも
巷間で一般的に認知されているもの、マニアの間でのみ知られているもの問わず
ジャマイカのカルチャーに関する記述について指摘が加えられております。

そこまで細かく言うか、という点もありますが説得力あり。
(レゲエ誕生までのジャマイカ・ポピュラー・ミュージックのことだけでなく
「クミナ」のことやマーカス・ガーベイの史実に関しても
元来のものとは違う見解を細かにハッキリと記述してあります)

以下はグリーナーの音楽記事を引用し、誤りを指摘している部分から。

スキャタライツの活動期間について、1963年からというのは誤りで
正確には1964年の6月からだと正しております。
(なのでスキャタライツの正式な活動期間は1965年8月までの
僅か一年と二か月ということになり、この本の後半にもそのことが書かれています)

また、セオフィラス・ベックフォード「Easy Snappin'」をスカの最初の曲だ、
というのは間違い。あれは「ブルー・ビート」でスカではないと。
ブルー・ビートの意は「Blues With Heavy Beat」で、
メントの後、スカの前のジャマイカ産音楽という解説もあります。

加えて、
「ロックステディの全盛は短い間で、1968年にメイタルズの「Do The Reggae」
が発売されて終焉を迎えた」(これ一般的には、この1968年発売が通説ですよね)
という部分の1968年は間違い、「Do The Reggae」は1967年に既に録音されている。
細かいですが、こう言い切れるのは彼が当時レコード・プレス、販売に
関わっていたからでしょうね。なので、信憑性は高いと思います。
大体にして、ジャマイカ音楽のジャマイカでの発売年のメディア表記は
いい加減か超メチャクチャだと思われるものが多い。(苦笑)
確かに正確なところは謎、だというような昔の音源もありますが
特にインターネットには「明らかに違うな」、というのが
山のように、まさにマウントされています。
私見で恐縮ですが、私が新譜をリアルタイムで買い、その後は仕事で
ジャマイカからレコード輸出したり、日本で売ってたりした期間
1980年代後半から2000年代後半までのレコードですら、発売年の表記
は誤っているものが現在沢山ある。というか誤っている者の方が多いかも。
いちいち指摘しないけどね。
というわけで、「Do The Reggae」は1967年録音というのはおそらく本当。
1967年には既に「レゲエ」という名称の新しいダンスと
ロックステディとは違うよりテンポの速い、アップリフティングな
初期レゲエサウンドが録音され、ヒットしていたことになります。

また、この本の中盤には、メント、ブルー・ビート、スカ、レゲエ、ダンスホール、
其々の説明と始まった時期の記述がありレゲエは1968年から、となっていますが
文中には1967年後半から既にレゲエのサウンドは胎動を始めていた、とあります。
そして、ロックステディからレゲエに移行した要因の一つに
「イングランドのレコード市場から速いテンポを要望された」、ということを挙げているのも
興味深い。あの国はよっぽど速いの好きなんですね。そんなに寒いか(笑)
(ウェイラーズの「Catch A Fire」をピッチ速くしたのは有名ですが、
あのJ.Bの「Night Train」もイギリスではピッチを速くして
イギリス盤シングルとして発売したくらいですから、よっぽど、ですよね)
とまれ、ジャマイカのプロデューサー達は(今はともかく、以前は)
イギリスの市場をかなり意識していたことがうかがえる一節です。

ちなみにこの本ではロックステディは1964年から、となっており
ブルー・ビートは1950年代中盤以降(最初期のダブ、スペシャルとして
録音されていた時代からということでしょうか)、
そしてスカは1959年から。
(ですから、「Easy Snapin'」はレコード正規発売の時期ではなく、
1959年以前の音源というのがグッデンさんの認識ですね。)

これは(最近見直されている部分もあります。そして、きっぱりと
「ここから、この年、この曲からが何々」と言い切るのは難しいのを踏まえたうえで)
ごくごく一般的に語られるジャマイカ音楽史
「スカは(どこからスカと呼ぶかは、これがまた難しい問題ですが)
1960年代前半から1965年、またはキングストンが猛暑だった19966年夏まで、
(1963年前後から1966年までというのも多い)
1966年から1968年まではロックステディ、1969年からレゲエ」
というものとはかなり違います。

グッデンさんは前に書いたように1950年代後半からサウンドマンとして
キャリアをスタートした人で、自分でも
「当時、1950年代後半以降の現場、もしくは現場の近くにいて体験した
この目で見て、この耳で聞いたリアル、真実を伝える」とこの本に記しています。
なので、私はかねがね思っていたのですが、
前述の通説は、やはり再検証すべき点が多々あるんじゃないかと。
まあ、そんなに細かく気にしなくてもいいんですけどね、誰にも頼まれてないし(笑)

名著「Bass Culture」の文中、バニー・リーとデリック・ハリオットの発言で
「サウンド・システムのポピュラリティが更に上がった1963年か1964年頃には
テンポの速くないゆったりとした曲を求める聴衆に合わせて、ある時間帯には
スロウ・ダウンした選曲をダンスでプレイするようになった」とあり
そのスロウな選曲には当時のアメリカのソウルが使われ、ハリオットさんの談では
「独立の後だから1963年か1964年にそれらアメリカのソウル・ミュージックが
大量に入ってきて、サウンド・システムで大流行した。
実のところ、スカをすっかり覆い隠してしまったのは、このアメリカのソウルだよ。
その後は1950年代のサウンドのリズム&ブルースを巡る争奪戦と同じ様相を呈したんだ」
とあります。ハリオットさんは大のソウル好きだという点を差し引いても
無視できる話ではないんじゃないでしょうか。
「Bass Culture」文中では、この時期にジャマイカでソウル・スタイルが
大流行した事実はブームが長く続かなかったことや
文化的アイデンティティという観点からすれば「後退」期間
(ジャマイカ・オリジナルの音楽ではないですからね)
のように思われたこともあって見過ごされがちだ、とあります。
確かにグッデンさんの「Reggae Heritage」の中でも、1964年からロックステディ
とはありますが、意識的かどうかこの時期にソウルが流行ったことについては記述ありません。

(なお、ロックステディに関してはハリオットさんは、リン・テイト絡みの
ホープトン・ルイスの音源が最初で1966年より以前ではない、という見解です)

以上のことや、ジャマイカ人の趣向傾向などを総合的に鑑みた私の推測は
(この目で見たわけではないので、グッデンさんには怒られそうですが笑)
ことキングストンのダンスでは、1963年か1964年ころからはスカは一定の人気を保ちつつ
段々と人気は落ち着いて行って、1964、65年頃には下降線を辿っていったと仮定します。
本格的なロックステディ・サウンドの楽曲がリリースされ始めるまでのその間のダンスでは、
「Bass Culture」にも書いてありますが、アメリカのソウルも大幅にフィーチャーしつつ、
それらのカヴァー・ソングや比較的ゆったりとしたテンポ、サウンドのスカなどを
プレイしていたんじゃないでしょうか?
キングストンではスカとロックステディの間、1964年から1966年くらいの時期に
ワン・クッションあったと考えてよい。
一方、プロデューサーはイングランドではまだまだ売れる速いスカを録音、
販売することも並行して行っていたんでしょう、1966年くらいまで。

なので、ヤップ兄弟らのプロデュース作品はスカの音楽性にほれ込んで
純粋にプログレッシブな音楽性を求めてスカを録音したと思いますが、
商売上の理由でアグレッシブなスカをキングストンのダンスの反応とは
関係なしに製作したケースも多いと思われます。
所謂「キラー」と形容されたりするアグレッシブで賑やかな速いスカが希少価値が高いのは
年代が古いことに加え、プレス枚数が少ないことに起因していますが、
それは(スタンパーがすぐ壊れたという例外もあるかと思いますが、
もし売れるものならジャマイカ人の性質からして何とか作り直して金にしようとしますよね)
ジャマイカ市場で当時、売れなかったということですよね。
現地ダンスにおける当時のトレンドとは少し違うものだった、とでも言いましょうか。
音楽が良いか、そうでないかとは関係なく、ですよ。
趣向の問題。
実際、全部が全部とはいいませんが、(何事にも例外はあります)
1964年後半録音と推定されるものや1965年以降のその手のスカは一曲一曲はカッコいいし、
ライヴでミュージシャンが(スキャタライツらが)演奏しているのを聞くなら最高なれど
ダンス、サウンド・システムの大音量のもと、短くないある程度の時間
うまくつなげていい感じにグルーヴさせるには性急すぎると感じます。
イギリス輸出用としては満点だったことは後の歴史が証明していますけど。

えー話が横道に逸れました。
今回後半の件に関しては、Yard Link RecordsのB師匠に
今度、ご教示をあおぎたいと思っています。
次回は「Reggae Heritage」に載っているトリビアルな話をピックアップする予定です。






【 2015/08/18 16:02 】

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Independent

八月六日は広島に原爆が落とされた日であり
今日は甲子園大会も開幕しましたが
ジャマイカの独立記念日でもあります。
独立してからも、経済的には苦労し続けていると報道される
かの国ですが、IMF、国際通貨基金が関わってくるようになってから
は特に厳しさを増したようです。
(詳しくは映画「ジャマイカ 楽園の真実」を観てください)

2002年にジャマイカで刊行された「Reggae Heritage」(ルー・グッデン著)
の文中でも、" IMF "はマフィアだ(The Mafia Of The World's Banking Community)
と批判されています。



で、
この書籍「Reggae Heritage」はイントロダクションから、
メディアに載っているジャマイカ音楽の情報、
その95%は混乱しているだけでなく誤解を招く内容だ、と言い切っています。
「まず、大体のライターがジャマイカの音楽を総称して"レゲエ"と言っているが、
"レゲエ"は(ロックステディ以後の)ダンス・ビートのことであり、
ジャマイカ音楽文化が生んだプロダクトの一つだ。
この本のタイトルにあるレゲエは正確な意味でのレゲエを指している」、
としたうえで1864年から1960年代後半のレゲエ誕生までの間の
ハイライトと重要事項、ポイントを書き記していく本である、と。

なぜ、まちがった情報がまかり通っているかについては、
大意ですが、こう書いてあります。
「大概のライター、放送関係者は誰かから聞いた話を書く、
しかも、その話自体も他の誰かから聞いた話だったりする。
子供の遊び「テレフォン」を思い出してみてくれ。二十人くらいの人間を集めて
ある一つのインフォメーションをひそひそ声で他の人に聞こえないように
一人づつ伝えていくと最後の人に伝わった内容は
最初のインフォメーションとはちがってくるだろ。
(日本の伝言ゲームみたいなのが、ジャマイカにもあるんですね。)
それと同じプロセスだ。本も雑誌も、ラジオ放送などもそうした間違った、曖昧な内容を
伝えるからミスリードを招くのだ。」
他の文中には、「彼らライター達は自分が生まれる前の話を人から聞いて書いているが、
私は1950年代後半から、その音楽現場に立ち会ってきたのだ。」

そして、その後のライターズ・ノートではそれら間違った情報を
例を挙げて、ココが違うと指摘していきます。根拠も述べながら。
(ジャマイカの大手新聞「グリーナー」の音楽記事もやり玉に挙げられています。)
例えば、
ボブ・マーリーの命日になるとジャマイカをはじめ、カリブ諸国、アメリカのラジオで
トリビュート番組が流されるが、そこで出てくるエピソードも嘘が多い、
彼らはイミテート・ジャーナリストだ、と複数のエピソードの間違った点を指摘していく。
「~その時にはボブ達のレコード・ストアは最初にあったオレンジ・ストリートの場所から
ビーストン・ストリートとチャンスリー・レーン、キング・ストリートの間に
引っ越していた。名前は"Wailer's Record Shack"。
君が言っている場所は違っている。それにその当時”ブラック・ハート”メンという形容は
君が言っているような意味では使われていない。その当時「ブラック・ハート」メンと
いうのは~」とか、
「ボブに愛称をつけてもらったと言っているが、その時君は
私の計算だと1歳なんだが、よく覚えているね。」などという感じで
細かく、ビシビシと間違いを正していきます。自分がW.I.R.Lに働いていた時の
リタ・マーリーとのやりとり等のエピソードも交えながら。
みなさん、ジャマイカ人といえば「ヤーマン」とか言って大ざっぱな人たち
しかいないと思っているかも知れませんが、中にはこういう細かい、緻密な人も
いらっしゃるので誤解しませんように。

著者のグッデンさん曰く、「ジャマイカの音楽史を語るジャーナリストには
二つのレヴェルしかない。聞いたことを鵜呑みにして書く、語るレヴェルと
フィクション、作り話を書くレヴェル。」

次回に続きます。







【 2015/08/06 19:48 】

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A Train

昔、ジャズ・バンドでドラムを演奏していた日本のおばあちゃんが
ニューオーリンズに行ったお話です。

2000年頃のテレヴィ番組ですが、ぜひご覧になってみてください。






【 2015/08/05 14:05 】

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