音楽誌等に色々書いてる石川貴教のブログ。

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

Time After Time



スタジオ・ワン製作のアルバム「Melody Life」がジャマイカ音楽ファン以外にも
永年愛好されているシンガー、マーナ・へェグゥ(Myrna Hague)

彼女はレゲエ業界出身ではないですが、ジャマイカの音楽業界の名士
といってよい人物で今も存命中です。
トランぺッターとしても有名な、1940年代からビッグ・バンドのリーダーとして
ジャマイカ音楽界の為に多大な尽力をした故ソニー・ブラッドショウさんの奥さん。
(1995年に結婚)
1977年から6年間はジャマイカ・フェデレイション・オブ・ミュージシャン
の秘書を務めていました。
私はジャマイカで仕事をするためのワーキング・パーミットを取得するために
この連盟にレターを書いてもらった思い出があります。
UCC・コーヒー(ブルー・マウンテンに農場経営)、三井物産、トヨタ、トーメン等には、
ミニストリー・オブ・ジャスティスはサラッとパーミット出す癖に
私はどこの馬の骨かわからない日本人だったせいか、
パーミットが申請から4か月以上の時間を経ても
中々認められず苦肉の策でマイアミへ出て日帰りとかしてしてたんですよね。
でも、ここのレターを出したら速攻、労働許可証が出て驚きました。
私の後にジャマイカでレコード買い付け始めた人はみんなこの手を使ったでしょう。
ある意味、オレはこの手法で許可証ゲットしたパイオニアだな(笑)
ただ、申請後、遅々として進まなかったのは私だけではなかったようで。
大企業の社員以外はみんな苦戦。
他の業界で働いていた英語ペラペラの私の先輩はあんまり遅いので文句言いに行ったら
「あ、パーミット出てたよ。でも受取の期限過ぎているのでもう一回申請して」と言われ
許可出てたのに連絡してこない、しないそっちが悪いだろ(もっともです)
といって激怒したが、すったもんだの末に結局もう一回申請するほかなく・・・
ジャマイカならでは、と言って今では笑い話ですけどね。
ジャメイカ・ノー・プロブレム笑





彼女はシンガーとしての経歴も独特。
バフ・ベイ生まれで父は教師一家、母はドレス・メイカーとしてブティックを経営。
その店があったオーチョ・リオスのメジャー・ホテルのほとんどは母親のデザインした
ユニフォームを採用していたそうです。
その後、その母親と1956年(彼女は当時10歳)にイングランドに移り住み、
ノース・ロンドン・カレッジに入学。
イングランドでは、当時唯一黒人モデルが在籍していたエージェンシーに入り、モデルも経験。
並行して歌手としての活動もスタートさせたんですね。

インタヴューで、ティーンネイジャー時代を振り返り
「イングランドのブルー・ビート・ダンスには友達と行っていた。
とても楽しかったが、私はリズム・アンド・ブルースの歌手になろうとは思わなかった。
そのころから、ジャズ・シンガーになろうと心に決めていた」
「サラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、エラ、サミー・デイヴィス・ジュニアがイングランドに
公演に来た際にはポケット・マネーで一番安い席をかって聴きに行った。
母とナット・キング・コールを聴きにに行ったこともある。
同級生の友達はブルー・ビート・ダンスの方が好きだったので、
その手のライヴには全然興味なかったから」と言っています。

なにしろ、当時のこの人のアーティスティック・アイドルで、ファッション・アイドルは
レナ・ホーン!!
インナー・シティ出身のジャマイカ人には滅多にいないタイプですよね。
(前述のように、彼女はイナー・シティ出身ではありませんが)

そんなイングランドで暮らしていた彼女がスタジオ・ワンでレコーディングした話、
その後の話は次回にアップする予定です。







【 2017/09/20 17:02 】

reggae  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

スティールパンの惑星




steel_convert_20170915093240.png



9月23日から、UPLINKで上映スタートの映画

「スティールパンの惑星」

トリニダード・トバゴのパンにフォーカスしたドキュメンタリー。

上映館拡大を期待します。






【 2017/09/15 09:24 】

未分類  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

Stop That Train



リン・テイトのトレイン・ウィッスルを模したギター・ループがたまらない
キース&テックスの名曲「Stop That Train」

その元ネタというか、オリジナルのスカ・テイクが
3年ほど前にドラム&ベイス・レコードから再発されています。

このシングルは、1965年にイングランドの"Blue Beat"レーベルから発売されただけで
おそらくジャマイカ盤はリリースされていない。

アーティストのクレジットは、”スパニッシュ・タウン・スカビーツ”
(トロージャンのコンピではスパニッシュト二アンズ)
になっていますが、実際はウインストン・ジョーンズ&トネッツのようです。



スパニッシュ・タウン出身のシンシアとマーリーン・ウエバー姉妹のトネッツ(トネッターズ、
後のウエバー・シスターズ)はスタジオ・ワンで1962,3年ころから録音を開始していますが、
その後に近所のウインストン・ジョーンズが合流、三人組に。
そして、1964年にプリンス・バスターのとこで録音したのが、この「Stop That Train」。
発売は1965年、UK "Blue Beat"からですが、前述のように
クレジットはウインストン&トネッツにはなっていません。

(ちなみに、「Rudie Gets Plenty」を歌ったスパニッシュト二アンズのメンバーは
ケンロイ・フィフェ、イズ・レコ、ボイシィー・グラント。当時イングランドで
”ランチャーズ”という名前でも活動していた三人。ロイ・オービソン、ジャマイカ出身の
サックス奏者、ジョニー・ホープと全英ツアーも行ったグループです。
ミリー・スモールがバカあたりする前から"Blue Beat"でシングルを出していました。
一方、ウインストンとトネッツは1978年に姉妹がカナダに行くまでは在ジャマイカです)

ウインストン・ジョーンズ氏の談(大意)では
「あの曲は、バスターの為に私が書いて、トネッターズと共にレコーディングした。
スパニッシュト二アンズとは同じスタジオだったが一緒にレコーディングなどしていない。
それなのに、バスターは、クレジットをウインストン&トネッターズではなく
なぜかスパニッシュト二アンズにしたんだ。
("Blue Beat"盤のクレジットはスパニッシュ・タウン・スカビーツですが、
まあウインストンさんの話が本当ならミス・クレジットには違いない。
前述のスパニッシュト二アンズのメンバーも「Stop That Train」はレコーディングしてない
と話しています)レコード売る段になったらジャマイカのプロデューサーがよくやることだ。
私たちはイングランドやアメリカに行くことがなかったから、実際海外で自分の歌が
違う名前のクレジットで売られて金作ってるなんて知るよしもなかったさ。
海外に行ってレコード見て、聞いて初めてどんなことになってたのか知るんだよ。
とにかく、あの曲は私が書いたものだが、クレジットは私じゃなかった。
私が「Stop That Train」でいくら稼いだか話したら、君は泣きたくなるぜ。
ナッシング。ゼロだ」







【 2017/09/06 22:46 】

reggae  | コメント(2)  | トラックバック(0)  |