音楽誌等に色々書いてる石川貴教のブログ。

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Rear Window

「人間は 
”自分が本当は何を見ていないのか”
を見ていない」



え~先月だったでしょうか、
BSでヒッチコックの「裏窓」を久々に観ました。

皆さんご存知のいわゆる、ひとつの名作ですよね。

が、しかし
この映画、ごく簡単に言うとラストは

”事件は解決されてハッピーエンド”

なのに、なんか腑に落ちない、モヤモヤしたスッキリしない感じ、なんだよなー。


ハリウッド・ミステリ・サスペンス映画としては過不足のない結末である、
とは理解出来るのだが、どこか不自然というか。釈然としない。
なんか騙されているような、大事なものを見過ごしているような。

あえて深読みする必要もないんでしょうけどね。

でも、そういえば、高校生の頃に初めてこの映画を観た時にも
「あれあれ?これで終わり?」と拍子抜けしたことを思い出しました。
その時は、そのなんとも言えないモヤモヤした思いを解消することもなく
「まあ、いいか。グレース・ケリーはキレイだったな~。」と
そのまま、このことは放置して記憶の彼方に忘れ去られていた訳です。

そのモヤモヤを長い間放置していた、忘れていたからといって、そのことで
オレの人生に何らかの支障があったわけではないんで別にいいんすけどねw

grace+kelly_convert_20111120210032.jpg

REAR_WINDOW-76.jpg

映画の解釈は観た人、それぞれでよいと思うし
観客に「私は、このように解釈した。」と、そう伝えられたなら
よほど否定的、無茶苦茶な解釈でない限り、監督、制作サイドは
「貴方がそう感じたなら、その通りですよ。」と答えることでしょう。
それが、「開かれた」映画だ、と言って良いのではないでしょうか。
極論かも知れませんが。


とはいえ、この「裏窓」
映画マニアの方は、とっくに自分なりに納得できる理解、解釈をなさっていることと
思いますが、ど素人の不肖、私としては、この機会にこの「モヤモヤ」を解消すべく
もう一回観てみました。DVD借りて。都合三回目。

が、やっぱりスッキリしないんだな、これが。
ますます、ハッキリしないところが目についただけで。
例えば、犯人と疑われる男が花壇を掘る場面があるけど
その時にはまだ彼の奥さんは行方をくらませていないよね。
消えるのは、その後のはず。などなど。
う~ん。この男、本当に事件の犯人なのか?






まあ、ここまでがオレの限界だな、と思いつつ
映画マニアの方はどう観て、解釈しているのかなと興味がわいたので
試しにインターネットで検索してみました。
が、膝をうつような、「なるほど!」と思うようなものは
見事なくらいほとんどありませんでしたね。
そのことが、少し嬉しかったです。
手軽に無料で、簡単に価値あるものが手に入るなんて
考えが甘すぎますよね。


つーわけで、
色々、たくさん出ているヒッチコック関係の書物にあたってみたんす。
でも、オレ的にで、大変恐縮なのですが、「う~ん」と唸るような文献は見つからず。
大体、映画評論って無知なオレには難解な専門用語が多くって・・・。


そんな中で

「事件は無事解決、映画は大団円へ。
いや、男は本当に妻を殺害したのでしょうか?~」

ということが書かれている加藤 幹朗さんの「ヒッチコック”裏窓”ミステリの映画学」
を発見。

「殺人事件は本当にあったのか?なかったんじゃない?」
という視点で語られる前半部は必読です。


「中年夫婦の間に本当に殺人事件がもちあがった
という客観的証拠がないにもかかわらず、
誰もが事件は実際に起きたと
思い込んでしまうことのほうが
問題であるような映画。
それが”裏窓”なのです。


そして、この奇妙な事態にほとんど誰も気をとめることのないまま
今日に到っていることを、私たちはミステリの問題というよりも
むしろ、映画史と認識の歴史の問題として引き受けねばならないはずです。~」

などなど、映画の詳細を見つめ、「裏窓」のミステリ構造を明らかにしています。



もう一冊は
内田 樹さんの「映画の構造分析」。
この本でも、「裏窓」(と北北西に進路を取れ」)が取り上げられてます。

その中で、この”殺人事件”自体が「にせの餌」のようなもの、
注意をそらすためのわかりやすい謎、であり
「私たちが見ていないもの」が、
そことは別の場所にあることを忘れさせるために(その殺人事件と思われう事件が)ある、
との解釈をしています。


つまり、
事件は、
それ自体がヒッチコックが画策した「おとり」

だったという解釈。

ヒッチコックが見せないようにしているのは、
事件があったと思われる部屋ではない。

では、「自分は何を見落とし続けているのか。」、
「自分が何から目をそらすように仕向けられているのか。」
(蛇足ですが、「見落とし続けているもの」は
グレース・ケリーがはめた指輪ではないですよ、勿論。
それとは、違うものです。)

しかし、
この「自分たちが何から目をそらすように仕向けられていたか。」
と述べられる”何か”=「物語の機能の全てが
それを隠蔽することによって成り立っている」もの。
それが少しだけ画面に現れるんです。
確かに出てきます。


この本を読むまでは全く気が付かなかったな~。
いや、初めて見た時の違和感はこれを見たことが原因かな、とも思うんですが
なにぶん、昔の話なので記憶があいまいですw

詳しくは、前記の書籍を読んでみてください。

繰り返しますが、
解釈、判断はホントに人それぞれであります。
でも、オレはだいぶスッキリしましたね。
もう一回くらい観れば、自分なりの解釈ができるんじゃないかな。


【 2011/11/20 23:30 】

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