音楽誌等に色々書いてる石川貴教のブログ。

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内田樹さんの「内田樹による内田樹」

ブック・ガイドとしてだけでなく
単独の著作として読んでも大変面白いです。

全編パンチ・ライン満載ですが、
”昭和のエートス”、”「おじさん」的思考”の解説中、下に引用した内田さんの文章、
「東映ヤクザ映画が戦中派ルサンチマンの一つの表現だったという仮説」
がとても印象的です。



”「昭和残侠伝」には、はっきりと政治的なメッセージが含まれていると思います。

それは「大義を語る人間は信じるな」ということです。

信じていいのは、自分の属している小さな、だが具体的な集団だけだ。
手触りのはっきりした顔の見えるゲマインシャフトは信じるに足る。
でも、観念やイデオロギーやあるいは利害関係で結ばれたゲゼルシャフトは信じるに値しない。

ところがまことに不思議なことに、「昭和残侠伝」の世界観は言葉でいうと
「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」なんです。変でしょう?
ゲマインシャフトこそが信ずべき集団であるなら、
「義理と人情を秤にかけりゃ、人情が重たい男の世界」にならなければおかしい。
ところが人情より、義理だという。

では、彼らが殉じる「義理」とは何なのでしょう?

「昭和残侠伝」では「政治的に正しいこと」をいうのは常に敵の方です。

「お国のため」や「民主主義」を盾にして法律や警察や政治家を味方につけているものは、
すべてワルモノであり、彼らは最終的に秀次郎たちに斬り殺されます。
それに対して秀次郎たちがその命を賭して守ろうとしているのは、
殆ど何の意味も持たないものばかりです。
先代から受け継いだわずかな「庭場」とか、「一宿一飯の恩義」とか、
消滅した雷門一家の看板とか、そこで起居を共にした兄弟分に対する扶養義務とか、
そういう「小さな義理」を果たすために秀次郎と重吉は死地に向かう。

悪者たちは国家レベルの「大きな義理」を代表します。
秀次郎たちは「小さな義理」を守ろうとします。
この二つの義理が対立し、葛藤するのが「昭和残侠伝」のドラマツルギーです。
義理と人情の対立葛藤ではないのです。
実際に対立するのは二種類の義理なのです。

別な言葉で言えば「大きな公共」と「小さな公共」が齟齬している。
そして、その二つの公共が対立するときは「小さな公共」の側に立て、
というのが「昭和残侠伝」の伝えようとしたひとつのメッセージだと僕は思いますが、
それはまさしく戦中派の人々が
僕たち戦後世代に伝えたかったことではなかったのでしょうか。”



【 2013/10/20 16:29 】

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